離縁してはならない
マタイ7:31.32を、
2017は、“31 また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。
32 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。”と訳し、
新共同訳は、“31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
32 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」”と訳しています。
山上の垂訓と呼ばれるイエス様の教え(5-7章)は、地上の神の王国に入る者or入った者への教えです。花嫁(キリストの空中再臨時に霊の体を与えられたキリスト者の総体)が、天の神の国に入った後の花婿キリストとの婚宴の時以降には、無意識のうちに義なる思いと行いが出来るようにされていることでしょう。黙示録19:8に“花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。”(2017)と記されていますから。
山上の垂訓で語られた内容は、主が新生された霊の内に住み、その人が主にすべてを明け渡し、主が主権をもってその人を統治しているという、霊の人でなければできないことがたくさん記されています。
山上の垂訓の中には、律法を変更したのだろうか、と思えるような内容がいくつも出て来ます。今日の箇所もその一つです。
律法が変更されたかのように思えるのは、イスラエルにヤハウェ(主)が与えた当時の律法は、その当時の人の状態を鑑みてヤハウェ(主)が与えたからであろうと思います。しかし、主の御旨は、最初から山上の垂訓で語られた内容のものであったのだろうと思います。
地上に置かれているキリスト者は、地上の神の王国の民ですから、旧約律法ではなく、イエス様が語られた本来のヤハウェ(主)の御旨に従って歩むことが出来るように、主に魂をきよくして頂き、そして主に輝き出ていただいて歩む必要があるのです。
その時、ヨハネ7:38の「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川〔「川」と訳された原語は複数形。「生ける水の川々」とは「御霊」{次の39節参照}(筆者挿入)〕が流れ出るようになります。」(2017)という主イエス様の御言葉が実現することでしょう。
マタイ5:31に、“「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。」”(新共同訳)と記されていますが、それのもとになっている申命記24章には次のように記されています。
“1 人が妻をめとり、夫となった後で、もし、妻に何か恥ずべきことを見つけたために気に入らなくなり、離縁状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ、
2 そして彼女が家を出て行って、ほかの人の妻となり、
3 さらに次の夫も彼女を嫌い、離縁状を書いて彼女の手に渡し、彼女を家から去らせた場合、
あるいは、彼女を妻としたあとの夫が死んだ場合には、
4 彼女を去らせた初めの夫は、彼女が汚された後に再び彼女を自分の妻とすることはできない。
それは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に忌み嫌うべきことだからである。
あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。”(2017)とあります。
パリサイ人がイエス様を試みるために、離縁についての質問をイエス様にしたことがあります。
パリサイ人が質問した内容は、律法の中の離縁と再婚についての上記の律法を基にしたものであろうと思います。
マタイ19:3-9には次のように記されています。
“3 パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。
「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」
4 イエスは答えられた。
「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。5 そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。6 ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」
7 彼らはイエスに言った。
「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」
8 イエスは彼らに言われた。
「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。
9 あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」”(2017)とあります。
イエス様がパリサイ人に対して答えた内容を聞いていた弟子たちは、イエス様に何と言ったでしょう?
「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」(マタイ19:10・2017)と、イエス様に言ったのです。
弟子たちの、「結婚しない」という言葉を捉えてイエス様は、話を次のように展開させました。
「そのことばは、だれもが受け入れられるわけではありません。ただ、それが許されている人だけができるのです。母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。」(マタイ19:11.12・2017)と。
教会時代に入ってからのこと、パウロは次のように述べています。
1コリント7:25-40には次のように記されています。
“25 未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。
26 差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。
27 あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけません。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。
28 しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。
29 兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。
30 泣いている人は泣いていないかのように、喜んでいる人は喜んでいないかのように、買う人は所有していないかのようにしていなさい。
31 世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。
32 あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。
独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
33 しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、34 心が分かれるのです。
独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、
結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。
35 私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。
36 ある人が、自分の婚約者に対して品位を欠いたふるまいをしていると思ったら、また、その婚約者が婚期を過ぎようとしていて、結婚すべきだと思うなら、望んでいるとおりにしなさい。罪を犯すわけではありません。二人は結婚しなさい。
37 しかし、心のうちに固く決意し、強いられてではなく、自分の思いを制して、婚約者をそのままにしておこうと自分の心で決意するなら、それは立派なふるまいです。
38 ですから、婚約者と結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。
39 妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。
40 しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。
これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。”(2017)とあります。
キリスト者の永遠の花婿は、キリスト・イエス様です。
エペソ5:30-32には、「30 私たちはキリストのからだの部分だからです。31 『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。』32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。」(2017)と記されています。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
新生した者のすべては、キリストの体であり、キリストの妻であることを覚えて感謝します。
新生させて頂いたキリスト者一人一人はキリストに従い、そしてキリストは私たち一人一人のために愛を注いでくださっておられますことを感謝します。
御父の子どもとして、キリスト・イエス様の妻としてふさわしい歩みをしていくことができますようお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。